パンクロッククラシックス

2011/03/08 Tue

クラシック音楽は、お澄まし顔で

咳一つ立てずに聴く音楽というのが、多くの人のイメージ。

しかし、初演時は流行りの音楽だったわけで、

今の若者がロックバンドのライブに行くのと、

さほど変わりはあるまい。

FM6134.jpg

イーゴリ・ストラビンスキーのバレエ組曲

「春の祭典」が、1913年にパリで初演された時の

エピソードは現代でも語り継がれている。

以下のwikipediaの記事からも、

その当時の衝撃が伝わって来るよ。

曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。
野次がひどくなるにつれ、
賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い、
殴り合りあい野次や足踏みなどで音楽がほとんど聞こえなくなり、
ついには、ニジンスキー自らが舞台袖から拍子を数えて
ダンサーたちに合図しなければならないほどであった。
ディアギレフは照明の点滅を指示し、
劇場オーナーのアストゥリュクが観客に対して
「とにかく最後まで聴いて下さい」と叫んだ程だった。
サン=サーンスは冒頭を聞いた段階で
「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」
といって席を立ったと伝えられる。
ストラヴィンスキーは自伝の中で
「不愉快極まる示威は次第に高くなり、
やがて恐るべき喧騒に発展した」と回顧している。
『春の祭典』初演の混乱は、
1830年の『エルナニ』(ヴィクトル・ユーゴー)や
1896年の『ユビュ王』(アルフレッド・ジャリ)の
初演時に匹敵する大スキャンダルとなり、
当時の新聞には「春の"災"典」
(Le "massacre" du Printemps、
直訳「春の虐殺」)という見出しまでが躍った。




耳触りのよい音楽に慣れたパリの観客には、

とんでもなく不快で、破壊的な音に聴こえたようだ。

音楽だけでなく、ロシアバレエの名声を築いた

やり手の名プロデューサー「セルゲイ・ディアギレフ」と

13-300x200.jpg

伝説の天才ダンサー「ヴァーツラフ・ニジンスキー」

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彼らが生み出した踊りそのものが、

20世紀の夜明けを示す革新的なものだったのよ。

今のロックミュージックシーンに

ストラビンスキーほどの反逆児がいるのか疑わしい。

さて、おいらがパンクロックにカブレていた時代の

ロック雑誌に、特集されてたクラシックの作曲家がいた。

その名は「エリック・サティ」。

えりっくさてい

作風はモダンでシンプルな曲が多く、

現代人のほうが抵抗無く聴ける。

彼に影響を受けた作曲家は、前述したストラビンスキーの他に、

モーリス・ラヴェルやクロード・ドビュッシー等がいるね。

サティは自分の曲を「家具の音楽」と称してたんだが、

それは後の環境音楽、ミニマルミュージックに繋がるんで、

ジョン・ケージやブライアン・イーノの大先輩だな。

作曲技法も型破りな人なんだけど、

彼の変人さを示すのが曲名だろう。

『官僚的なソナチネ』『冷たい小品』
『犬のためのぶよぶよとした前奏曲』
『梨の形をした3つの小品』
『胎児の干物』『裸の子供たち』


こんなんだもの。

220px-Satie-lesprit.png
自画像

まあ、こんなパンクなエリックさんの曲を

少しばかりどうぞ。









クスって笑えるグラフィティ
人口呼吸
しっかりしろ、いま助けてやるからな。
フーッ、フーッ。


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