老舗のルーツ
2015/07/04 Sat
昔から続いている、いわゆる「老舗(しにせ)」には、
都道府県名じゃなくて、旧国名が付いてるものが多いようです。
例えば、こんな下町の天ぷら屋さん。

東京都 台東区 伊勢屋
伊勢は今でいう三重県なんですが、
伊勢屋を名乗る店は全国にあります。

長野県 奈良井宿 伊勢屋
旧国名が付いた店には、伊勢屋の他にも
近江の国(滋賀県)の名が付いた近江屋ってのがあります。
坂本龍馬が暗殺されたことで有名な近江屋事件。

伊勢(三重)も近江(滋賀)も、商人で有名な土地ですね。
彼らが商機を求めて、全国に散らばったのでしょうか。
全国的といえば、御用聞きで販売する三河屋。

三河の国は、今の愛知県東部にあたります。
三河屋さんって名は、酒や味噌、醤油、酢などの
醸造品を売る店の代名詞みたいになってますね。

さて、こちらも大メジャーな店名の越後屋。

時代劇のせいで、悪いイメージついちゃった。

「越後屋、お主も悪よのう。」
「いえいえ、お代官様には及びません。」
三越百貨店も元をたどれば、

江戸時代の大店(おおだな)越後屋呉服店でした。

でも、越後屋を創業した三井高利(1622年 - 1694年)は、
伊勢生まれなんだよね〜
なんで屋号を伊勢屋にしなかったんだろ?
さて、鹿児島には三越なんか目じゃないくらい
地元で絶大な信頼がある百貨店があります。
山形屋(やまかたや)といいまして、
創業者は山形(出羽国)で生まれたようです。
http://www.yamakataya.co.jp/company/history
岩元源衛門(1738ー1812)
ウィキペディアによりますと、
とあります。
百貨店の中でも、かなりな規模の老舗みたいね。
鹿児島市の繁華街天文館に本店があり、
ルネッサンス様式の建築は、街のシンボル的存在。

一階がバスターミナルになってることもあり、
鹿児島全域から客を集めてるようです。

しっかし、山形屋初代の源衛門さん。
出羽(山形)から薩摩(鹿児島)まで商売しに行ったんだから、
そうとうなパイオニアだったんだね〜

※距離にしておよそ1,600km
おしまい。
都道府県名じゃなくて、旧国名が付いてるものが多いようです。
例えば、こんな下町の天ぷら屋さん。

東京都 台東区 伊勢屋
伊勢は今でいう三重県なんですが、
伊勢屋を名乗る店は全国にあります。

長野県 奈良井宿 伊勢屋
旧国名が付いた店には、伊勢屋の他にも
近江の国(滋賀県)の名が付いた近江屋ってのがあります。
坂本龍馬が暗殺されたことで有名な近江屋事件。

伊勢(三重)も近江(滋賀)も、商人で有名な土地ですね。
彼らが商機を求めて、全国に散らばったのでしょうか。
全国的といえば、御用聞きで販売する三河屋。

三河の国は、今の愛知県東部にあたります。
三河屋さんって名は、酒や味噌、醤油、酢などの
醸造品を売る店の代名詞みたいになってますね。

さて、こちらも大メジャーな店名の越後屋。

時代劇のせいで、悪いイメージついちゃった。

「越後屋、お主も悪よのう。」
「いえいえ、お代官様には及びません。」
三越百貨店も元をたどれば、


江戸時代の大店(おおだな)越後屋呉服店でした。

でも、越後屋を創業した三井高利(1622年 - 1694年)は、
伊勢生まれなんだよね〜
なんで屋号を伊勢屋にしなかったんだろ?
さて、鹿児島には三越なんか目じゃないくらい
地元で絶大な信頼がある百貨店があります。
山形屋(やまかたや)といいまして、
創業者は山形(出羽国)で生まれたようです。
http://www.yamakataya.co.jp/company/history
岩元源衛門(1738ー1812)
ウィキペディアによりますと、
創業は宝暦元年(1751年)。
創業者は近江商人の血を受け継ぐ
現在の山形県庄内地方の北前船商人。
デパートメントストア化は明治時代中頃、
近代的なデパート建築(清水組による施工)となったのは
大正時代初期と古く、地方百貨店の先駆け的存在であり、
神戸以西におけるデパート第1号である。
商業面積は約33,000㎡、
年間売上高は約500億円にも上り、
地方百貨店としてはトップクラスの収益力を誇っている。
創業者は近江商人の血を受け継ぐ
現在の山形県庄内地方の北前船商人。
デパートメントストア化は明治時代中頃、
近代的なデパート建築(清水組による施工)となったのは
大正時代初期と古く、地方百貨店の先駆け的存在であり、
神戸以西におけるデパート第1号である。
商業面積は約33,000㎡、
年間売上高は約500億円にも上り、
地方百貨店としてはトップクラスの収益力を誇っている。
とあります。
百貨店の中でも、かなりな規模の老舗みたいね。
鹿児島市の繁華街天文館に本店があり、
ルネッサンス様式の建築は、街のシンボル的存在。

一階がバスターミナルになってることもあり、
鹿児島全域から客を集めてるようです。

しっかし、山形屋初代の源衛門さん。
出羽(山形)から薩摩(鹿児島)まで商売しに行ったんだから、
そうとうなパイオニアだったんだね〜

※距離にしておよそ1,600km
おしまい。

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コメント
13歳創業
いくら才覚があったとしても、その歳で商売を任せてもらえるわけないよね。番頭になれるのは大概30後半なんだから。
想像すると、丁稚奉公中に勤めていた店が解散し、現物支給されたものを元手にのし上がっていった。そのスタートの歳が13かな?
あるいは早熟で、どこかの大店の未亡人と・・・
No title
山形庄内と鹿児島、明治維新とも
関係がありそう、、、
それにしても、伊勢屋、渋すぎ。
吉原?どうやって行くのかな、、
浅草に尾張屋ってそば屋もありますね。
くまちゃんへ
1772年(安永元年)
薩摩藩の商人招致を知り、
鹿児島城下木屋町(のちの金生町)に
呉服太物店を構え、山形屋と称する。
となってます。
つまり、実際に山形屋と名乗って
店舗を構えたのは、34歳。
山形屋が老舗の箔を付けたくて、
下駄をはかせたのかもしれません。
それでも、13歳にして紅花仲買と呉服太物行商を
京都や大阪でやってたというから、只者じゃないでしょう。
なにしろ、稀代の相場師を生んだ土地の出身ですから。
http://matome.naver.jp/odai/2142224585391860001
なおさんへ
> 関係がありそう、、、
それはおいらも少し思いました。
明治維新の頃の山形屋が、どれだけの規模に
なってたかにも寄るでしょうね。
> それにしても、伊勢屋、渋すぎ。
> 吉原?どうやって行くのかな、、
> 浅草に尾張屋ってそば屋もありますね。
同じ食べ物屋でも、
なぜだか旧国名ついた店の方が
美味しそうな感じがするんだよな〜^^;
No title
本間さんのお墓はお参りに行って、株祈願してきました。
東京入谷にあります。
伊勢屋はいきませんが隣の馬屋は通ったことあります
その時、昼間ですが、吉原に迷っちゃって、恐ろしかった、、
戸口に男の人が立ってって、異様な雰囲気。
未だに恐ろしくて覚えてます。
外れについたら、神社と慰霊碑があって、
吉原の大火でなくなった方を埋葬してあった
ちっちゃな池に金魚。
一列に群れて泳いで、花魁道中?みたい、
水の中できらきら。
ここからが言いたくないけど。
それまで真っ黒黒介でないけど見えてた、(カルトみたいで、、いやんんだけど)
ちっちゃなおたふくさんたちが見えなくなったの。
ものすごくよくお祈りして帰ってきたの。
それからすっかり見たこともない。
なんか呼ばれて、お祈りしたみたいで、、
何時か書こうと思ってるの。
可哀想すぎるでしょ。
切ない、そして本当にあった哀しい現実。
そうしたらバスがあって、それに乗ってどっかまででて、
馬やは文人が書いたものなど残ってるの。
仲居がひどい。
子供に「あんたぁ~、お箸持てるの持てないの!」って怒鳴りつけてるの。
お客様の子供に、,
すざましいの、、それが気にならなければ、いい肉ですよ。
hippoponさんへ
すぐ近くに吉原があるんだね。
遊郭は男にとって歓楽街でも、
女には苦界なんだろうなあ。
そういう愛憎に塗れた場所は魔物が出やすいもの。
何か見たとしてもおかしくないでしょう。
伊勢屋の隣りは桜鍋屋なんだね。
老舗の仲居さんって、そういう人が多いよ。
店の格式高いと自分もそうだと錯覚しちゃうのかな。
昨日は
越後屋さんとかけて
未来のロケットととく
その心は
H2、H3・・・H5
5・4・3・2・1発射~っ!
H5ロケットに火がつきました~っ!
H5や~っ(笑)
ももさんへ
最近の子供は筆圧が弱くなって、
通常使う鉛筆の硬さが2Bなんだそうです。
HBは硬すぎるんだって。
ももちゃんのロケット砲